どうもごんざです。
年のはじめに過去を思い出していたら、音楽大学を卒業してからの20代が、とても苦しかったことを思い出しました。
そこで当時の自分のように苦しんでいる人がもしいたら、微力だけども力になりたい。
そう思い立ち、フリーランス向けのレッスンプランをひっそり用意することにしました。通常のレッスンに比べめちゃくちゃお得です。料金だけ知りたい方はこちらからどうぞ。
このプランを立ち上げた思いも添えます。
当時は言葉にならず毎日を過ごすことで精一杯でしたが、今なら言葉にできるかもしれないと思って書いてみます。
フリーランス対象のレッスンプラン新設
レッスンプランにフリーランス向けのプランを用意しました。
きっと今の20代でフリーランスをやっている音楽家は、当時のぼくよりずっと優秀で将来のこともちゃんと考えているだろう。ぼくみたいに腐りそうになっている人はいないかもしれない。
でもぼくの今の活動の原点は「今の自分だったら、昔の自分になんて声をかけてあげれるか、何をしてあげられるか」。
だからこのプランを新設することにしました。
大学卒業後も音楽を生業にすべく走り続けている人向けのもの。通常ぼくのレッスンは60分11,000円~。だけど当時のぼくだったら興味はあっても通い続けるのは難しかっただろう。だから、フリーランスコースは期間中何度でも1レッスン60分7,000円にて受け付けます(通常11,000円なので36%割引)。場所代、交通費がかからない場合はもっと値段が下がります。
今まで人に聞けなかったこと、聞いても解決しなかった悩みを、気兼ねなく相談に来てもらうために。奏法のこと音楽のこと、なんでも話しましょう。レッスン場所についても相談しましょう。東京都内、埼玉あたりでしたらどこでもレッスンします。
もし今、かつての自分のように演奏上の問題で悩み、将来も見えず苦しい思いをしている人がいたら。
自分に合う音楽との付き合い方を知り、吹き方を知り、自分が上達するために必要なメニューを知れたら、これから生きていきたい道への道筋が少しでもレッスンを通してみることができたら、もう少しがんばれると思うんです。
視野をひろげるにはまず、自分の楽器の上達の可能性を知ることから。
音楽に携わる人にとって自分の奏でる音がよくなることは、何よりの希望です。
レッスンをほっと一息つける時間にしたい。
それには無理なく通える場所が必要。
そう思っての企画です。
ここからは大学卒業後にもがき苦しんでいた時に、レッスンによって救われた話。
真っ白の手帳
考えが甘すぎる、と言われればそれまでだけど、音楽大学卒業後に一般企業に就職するなんて1ミリも考えず、かと言って音楽で生きていくことを心に誓っていたわけでもない22歳のぼくに卒業後待っていたのは、真っ白の手帳だった。
仕事もない、
お金もない、
居場所もない、
だけど音楽をやめて他にやりたいこともできることもない。
大学卒業後、無所属になる怖さから進学した尚美のディプロマも、入学して3ヶ月でやめた。その後ポツポツと音楽の仕事をいただけることはあっても、それで生活していけるか、と聞かれれば全然無理だった。
アルバイトと一人暮らし
当然大学時代からやっているアルバイトもやめられるわけもなく。手帳の予定はバイトばかり。当時は最大で3つほどバイトを掛け持ちしていた。
働くほどに楽器は下手になり、かといって働かなければ暮らしていけず、続く負の連鎖。バイト先はいつも同じ顔ぶれだからほんの少しの居場所にはなったけど、居心地のいいものではなかった。
大学卒業後もしばらくは実家に住んでいたのだけれど、家で楽器を吹けば家族に「うるせえ!」と罵声を浴びせられ、しまいには「いつ家を出て行ってくれるんですか?」と言われる始末。息苦しさに耐えきれなくなって一人暮らしを始めた。
一人暮らしの開放感はすごかったけど、その後に遭遇したのは息を吸ってるだけでお金がかかる現実。しばしば携帯が止まり、時にはガスが止まり、電気が止まり。電気止まると部屋のライトのスイッチ軽くなるの知ってました?ついでに仕事に行く交通費もギリギリ。この時期パスタばかり食べていたら体重はめちゃ増えた。
音楽面では、うまくなりたい、でも時間がない、方法がわからない、仕事がほしい、でも人とのコミュニケーションが得意ではない、自分より周りの人の方が活躍している、悔しい、情けない、自分には才能がないのか、向いてないのか、でもあきらめたくない。心の中は行き場のない感情に埋め尽くされていた。
今だったらアルバイトをせずとも、音楽活動と並行して生活できるだけの資金を得ることができるかもしれない。でも、当時は視野が狭かった。選択肢を知らなかった。楽器さえうまくなればなんとかなるだろうと、思っていた。
レッスンを受け始める
そんな中、当時新日本フィルハーモニー交響楽団のホルン奏者、阿部雅人先生のレッスンに通い始めた。このタイミングで阿部先生のレッスンを受けていなかったら、もっとはやくに楽器を辞めていたと言い切れる。それくらい、自分の楽器の実力にも人生にも限界を感じていた時期だった。
先生のレッスンは厳しかった。
大抵先生はにこりともしない。優しい言葉をかけてくれることもほとんどない。こちらの機嫌を気にしたりなんて、もちろんない。
だけどそこでのレッスンはぼくが今までに受けたことのないレッスンだった。ホルンの吹き方を教えてくれるレッスンだったんだ。
それまでぼくがレッスンを受けてきた先生は、ホルン奏者として、音楽家として才能に恵まれたスペシャリストばかりだった。スペシャリスト達には奏法上の困難さはあまり理解してもらえなかった。
もちろん、音楽大学に入学する時点でそんなものクリアしているものなんだろう。でもぼくはそんな問題が山積みなまま進学してそのまま卒業し、あろうことか音楽を続ける道を選んでしまった。
スペシャリストのレッスンは毎回、先生の音の素晴らしさに幸せになり、音楽の素晴らしさ再認識し、勇気をもらえるレッスンではあった。
だけど当時のぼくにはまだ早かった。
何しろできないことが多すぎた。
・高い音は思うように出ない
・タンギングは不鮮明で遅い
・すぐバテる
・唇は腫れる
他にもいろんな問題を抱えていた。
そんな状態でいくらいい音楽をしようと思っても、裸で冬山に登ろうとするようなものだ。
裸で冬山に挑み続けるぼくに阿部先生は「そんなんじゃ闇に葬り去られるだけだ」と言ってくれた。彼ももちろんスペシャリストだが、奏法に関して絶えず自身を観察し試行錯誤を繰り返し、それを明確に言葉にできた。
先生のレッスンに通いはじめて、今まで培ってきた奏法を一回全部捨て、0から作り直し始めた。マウスピースの当てる位置から口周りの筋肉の使い方、目指すべき音色、現状の把握、これからやらなければいけないこと。たくさん話もしてくれた。音楽を続けていく、ということ。プロを目指すということ。
言ったことは全部その通りできていて、なんとなくの言葉でごまかすことのない経験に裏打ちされたレッスンは、うなずくしかなかった。
それに、何より何者でもないぼくを信じてくれていた。
「権左は自分をあきらめてるよ」
と何度も言われた。厳しさの中に愛のあるレッスンだった。どれだけ出来が悪くても声を荒げることもなく辛抱強く話をしてくれ、奏法に関して様々な角度から提案をしてくれ、実際に吹いて聴かせてくれた。当時の自分にとって月に2回のレッスンは金銭的に厳しかったけど、それでも2年ほど通い続けた。
そこには居場所があった
結局その後自分を信じることができず、現状の厳しさに打ちのめされて音楽から一度離れてしまったけど、あの頃の経験がぼくのホルン演奏やレッスンに関する根っこの部分であることは間違いない。
特にレッスンについての考え方は、この時期に大きな影響を受けている。
- 音楽以前の「吹き方」を教えてくれる場所の貴重さ
- 丁寧な積み重ねで人はいつからでも変われること
- 自分以外の誰かが自分以上に自分を信じてくれることがどれだけ心の支えになるか
どこにも所属がなく、競争の世界でいろんなものにまみれながら走り続ける中で、ほかの人と分け隔てなく、親身にレッスンしていただいたあの2年間に、ぼくはどれだけ救われたかわからない。
そこには自分の居場所があった。
おわりに
過去を振り返り、フリーランスになったとき、卒業後に通い始めたレッスンで自分の居場所を初めて感じ、その時期のレッスンにどれだけ救われたか思い出したとき、このプランを思いつきました。新しい出会いを楽しみにしています。
詳しくはこちらをご覧ください。
興味のある方がいらっしゃいましたら、お気軽にご連絡ください。
それではまた。
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