楽器が思うように演奏できない=才能や努力不足ではなく、仕組みの理解が足りないだけかもしれない

金管楽器は、ハイトーンが出ることがひとつのステータスになっている環境がいくつもあるように感じます。

それによってハイトーンを得意とする人が「私はハイトーン得意!」と自信になるだけなら良いのですが、ハイトーンが苦手な人はどこかあきらめてしまっている場合も多いです。

ぼくも長い間ハイトーンが苦手で、あきらめてしまっていたのでよくわかります。

でも今思い返すと、ハイトーンを出すために何がどれだけ必要なのか、そして何を選んで使っているのかをまったく知らなかったのです。

ただそれには様々な要因があって、過去にぼくのいた環境で言われてきた【ハイトーンはこうやってだす】というアドバイスも的確ではなかったし、知識として持っていたものも正しくなかったので、そりゃでないよな、と今なら思います。

当時は自分の努力が足りないからだ、才能がないからだと、さも自分が人より劣っているかのように置き換えていました。

 

でも、自分自身の話で言えば、どうもそうではなかったようなのです。

というのも、あきらめてから長い時間が経って、自分の状態を知り、知識として持っていたものを整理し、情報を仕入れ、その上で練習を続けることでハイトーンが出るようになったからです。

努力が足りない、才能がない、は結果的には自分で自分の首をしめていただけで、事実ではなかったのです。

 

演奏面でもメンタル面でも事実ではないことを気に病んで何年も過ごしてしまった経験があるから、演奏に関する仕組みや理解をできるだけ言葉で伝えたいと思ってこの記事を書いています。

「ハイトーンは息のスピードをはやくするとでる」の息のスピードって?

ハイトーンに関するアドバイス、いろいろひっくるめて「ハイトーンは息のスピードをはやくすると出るよ」と言うことありますよね。

ぼく自身言われたこともありますし、これまでに言われた経験を持つ人も多いですよね。

 確かに要約するとそう言えなくもありません。
ですがそもそも、息のスピードとは何を指して言っているのか知ってほしいです。

 息のスピードはいろんなやり方で変化をおこせる

 例えば、息を吐く量を増やすと息のスピードはあがります。が、体のどこかにポンプがあって無限に息が吐き続けられるわけではないので、割とすぐに限界がきます。
 
それを、【息のスピードをはやくする=息の吐く量を増やす】しか知らないと、許容量を超えて無理に(息が足りないんだ、もっと吸えるようになろう!)とブレストレーニングをし続けたり、楽器に無理矢理息をいれようとしてしまったり、(私は体が小さいからこれ以上息のスピードをはやくすることができない=ハイトーンは自分には無理)と言った、よくない方向に練習や思考がいってしまうことになります。
 

他にはどんな方法があるのか

息のスピードを変化させる方法は、息の吐く量を増やす以外にもあります。

 
  • 息の出口の大きさで息のスピードは変化する
    同じ息の量でも出口の大きさで息のスピードは変わります。(「ハア」と口を開けてため息をつくのと、「フウ」と口を閉じ気味でため息をつくのとを比べるとわかりやすいです)

 

  • 息の通り道(口の中)の形
    これも息のスピードの変化に関係あります。「あ」と言った時の口の中の形と、「う」と言った時の口の中の形はずいぶん違いますよね。
 
 
2つ例に挙げましたが、息の出口の大きさや息の通り道をどう変えるのか、それらをどう使って演奏するか、はいくつもやり方があります。一人一人の状態によっても変わってきます。
 
 
このように息のスピードと一言にまとめても、様々な要素やバランス(手段やバランスに関しては本当に細やかな)の話が内包されているんです。
 
それを知らずに【息のスピードはやくしよう】とまとめてしまうと、アドバイスする側もされる側も、お互いがどこまで分かって言っているのか見えにくいのです。
 

仕組みを知ることは努力や才能とは別の話

 
これらは、知っている人にとっては当たり前のことですし、知ってしまえばなんてことのない話かもしれません。
 
深く考えたことはないけど、楽にハイトーンでるよ、練習していくうちに出るようになったよ、て人もいると思いますし、それも全然OKです。
 
 
ですが、ハイトーンが苦手(だと思っている)な人に話を聞くと漠然と、息のスピードをはやくする、としか思っていなかったり、ハイトーンはマウスピースを押し付けてだす、と一つのやり方でしかやろうとしていないケースがとても多いのも事実です。
 
 
 
 
 
息のスピードをはやく、には、どこがどう変化するのか、何を使って変化させるのか、という複雑な話が実は含まれている。その仕組みを話し、その人が今やっているやり方を推測して、その人に合うであろうやり方を提案すると、今までの苦労がうそのようにスルッとできるようになることは多いです。
 
 
これは才能とか努力とは別の話ですよね。
知らなかっただけなんです。
 
 
公式を知らなければ数学の問題が解けなかったり、仕組みを知らなければ読めない漢文のようなものです。
 
演奏も、その仕組みや必要な要素、使い方がもっと考えられていいし知られていいはず。
 
 
音楽はすべて言葉で説明できるものではない、自分で方法を見つけるものだ、自分で見つけられなきゃそこまでだ、それが才能だ、努力すれば見つけられるものなんだ。そういう見方もありますよね。
 
言いたいこと、わかります。
 
 
それでも。
 
 
少なくともぼくは、仕組みを理解して自分の状態も知ることでハイトーンがでるようになったし、その経験を基に、ハイトーンが苦手な人に仕組みや使い方を伝えることで、できなかったことができるようになった経験が何度もあります。
 
だから、なかなかできるようにならないものを、「努力が足りない」とか「才能がない」「自分には向いてない」って思っちゃう、あるいは人に言ってしまう、人に言われてしまうのは違うよなあ、と考えています。

おわりに 

 アドバイスする側は、自分がやっていること・伝えたいことへの理解がより深まると、いろんな誤解は起きにくくなっていくんじゃないか、そんなことを日々感じています。

こういった話は伝える側だけでなく、受け取る側の、与えられた材料から必要な情報を引き出し、活用する能力も関わってくるので、簡単な話ではありません。

ですが、ぼくが音楽業界で感じている、受け取る側の問題にされてばかりな風潮も違うよな、と思うのです。

 

 
 
 
 
 
それではまた。