どうもごんざです。
今まで10年以上にわたりたくさんの学校のレッスンをしてきましたが、今年はこれまでで一番深く関わった学校がありました。
今日はその学校の話。
全面的に任せてもらえたので、今までやりたかったことにたくさんチャレンジさせてもらいました。
レッスンに行き始めた頃はいきなり合奏を見ることはせず、まずは一人一人個人レッスンをし、生徒との信頼関係の構築からはじめました。また、身体の使い方や呼吸について誤解だらけだったので、1から説明することもしばしば。
目次
信じること
まず、なにがあっても可能性に満ち溢れた相手を信じることに決めました。何かうまくいかないことがあったとしても、先に進む方法はいくらでもあるんだから最初からあきらめるなんてナンセンス。
今年から通っている学校の話。4月、顧問の先生「うちの子たち大丈夫でしょうか?」
ご「のびしろしかないので大丈夫です」
5月、顧「うちの子たち、学力があまり高くなくて…」
ご「順調にのびています。大丈夫です」
6月、顧「本番間に合いますかね?」
ご「大丈夫です」— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年8月9日
7月、顧「ごんざ先生は大丈夫ですしか言わないから」
ご「だって結果なんて誰にもわからないじゃないですか 」
8月、顧「最近いけそうな気がします!」
ご「そう思いますよ」この先どうなるか誰にも分からないんだから信じるべき。可能性がある限り大丈夫。適当に言ってるわけじゃない。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年8月9日
思うだけでなく言葉にし続けていくことで、先生の反応も変わっていったのが印象的でした。
自分がされて嫌だったことはしない
中高時代、部活で先生に言われて嫌だったことや、思い返しても(意味ないだろうな)ってことは極力避けよう、と心に決めて生徒たちと関わりました。
あとは先生側が先に投げ出したり、あきらめたりしないこと。
「そこ、やっといてね」って投げっぱなしにはしない。何か提案したらその後どうだったかも伝える。
ひとつだけ決めていることがある。レッスンで吹き手が最初から「どうせ吹けない」とあきらめてる場合は絶対逃がさない。2人でとことん向き合う。このやり取りは苦しいけど道は必ずある。簡単に自分をあきらめさせない。まずはぼくが相手の可能性をとことん信じる。暑苦しくてもここは譲らない。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年7月19日
音程に関してもこだわりました。
「高い」
「低い」
「もっと合わせて」
そんなことを言うことに意味を感じませんでしたので、ほぼ言いませんでした。
「音程」と極力言わずに金管セクションレッスン。 頭使うし、吹き手も「_:(´ཀ`」 ∠):」ってなりにくい。それでもかなり澄んだハーモニーに。後半は音がうねってたら変顔を使うという奇策。どんなレッスンの仕方が合うか学校毎に模索中。やり方は無限にある。#ごんざの考察
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年7月19日
音程をその音だけチューナーで合わせようとする人とても多いのだけど、前後の音との幅がとても重要。合わせたい音の前の音から演奏してみてほしいし、そのまま次の音へも続けて演奏してほしい。音程が合わない場合は音と音の幅を把握できてないってこと。「音程が悪い」んじゃない。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年8月10日
マイナス感情を持ち込まない
プライベートでうまくいかないことがあったとき。レッスンがうまくいかないとき。
不機嫌になってしまいがちだけど、極力それを避けました。だってレッスンにいい影響ないから。
不機嫌や緊張とかのマイナスな気持ちは周りに伝染する。同時に上機嫌や前向きなプラスの気持ちも伝染するよ。(雰囲気悪いな)と文句言ってないでまずは自分から変わろう。難しいけど、できるよ。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年7月21日
自分たちで考えるようになるには
ひとりひとりにある可能性を、最初から自分で全開にして演奏できる人は少ない。周りからのたくさんの提案と試行錯誤と、その人自身の飽くなき向上心と努力によってはじめて可能性が見え、知り、自分の力を使えるようになるんだと思う。最初から「もっと本気でやれよ」と言っても伝わらない。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年8月6日
「どうすれば自発性が生まれるか」とよく考えました。「自分の頭で考えろ」だけじゃ無理なことは経験上わかっていました。
やらせたり守らせるだけじゃなくて、自分で考えるようになるには。ぼくが中高生だった頃、それが全然できなかったから難しいのは分かる。そこを引き出すために何ができるのか。そこだよなあ。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年7月26日
選択肢がたくさんあることを伝えるのは必要。選べることを伝えることも必要。自分たちにはどれだけでも可能性があるってことを、上っ面だけじゃなく心の底から信じられるよう伝えていくことも必要。あとは…待つこと?忍耐強くあきらめず、苦しくても踏み止まり、逃さない暑苦しさ。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年7月26日
相手がいくらうまくいかなくてもこちらが途中であきらめない。相手があきらめても諦めない。嫌がられても強要はしないけど逃さない。とことん付き合う。ただし自然体で。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年7月26日
合宿にも全行程参加し、空調に課金しながらなんとかやり抜きました。
宿の空調お金かかる…。こんなんお金入れざるを得ないだろ…_:(´ཀ`」 ∠): pic.twitter.com/AFHXi8B2lz
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年7月28日
合宿の隙間時間に「ここができないんですー」と生徒が先生に気軽に言ってくる感じ大切よね。そうやってどんどん先生使っちゃえばいいんだよ。隙間時間に相談に来たトロンボーンの生徒、ちょっとの提案ですぐ変わった💡うまくなりたい気持ちを前に出せることも、提案を素直に受け取る柔軟性もステキ!
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年7月29日
たくさんの思いのなか、こんな想いが込み上げてきました。
生徒たちは、信じれば信じるほど力を発揮してくれる。そんな気がしています。大人が(こんなもんだろ)と決めつけちゃダメなんだよね、という思いが確信になりつつある。時間を見つけてコミュニケーション取ることも大切。全部が音楽に繋がってる、というか全部が音楽。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年7月30日
無駄なことなんてひとつもないんだなあ、と。これはレッスンだけしかしていなかったら見えなかったことで、みんなで過ごす中で思ったことでした。
圧迫しなくても方法はある
中高時代、ぼくは一人で吹かされるの本当に嫌でした。
誰かの陰に隠れないため、とか責任持って吹くため、とか聞こえはいいけどただのさらしものだった。
「はい、もう一回」
「なにそれ、やる気ある?」
「音間違えるなよ」
「そこ、吹かなくていいよ」
「もっと吹いて」
「聞こえません」
教える側に回ってすぐの時、ぼくも生徒にこう言ってしまっていた。でも、今となってはこんなこと口にしたくない。それだけは心に決めていた。
だからひとりひとり吹いてもらうときにも、極力ノンストレスな環境作りを心がけました。
合奏中にひとりひとり吹いてもらうの、圧迫する必要ないんだよね。明るくやったらいい。みんな順番に吹けば自ずと状態がわかる。2回目は何も言わずとも自然とよくなる。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年7月30日
楽しさを知ればやりたくなるんじゃないか
「音楽って楽しいものなんだよ」それをまずは伝えたかった。それを知ればどんどん自分たちでやるんじゃないか、と思ったから。
吹奏楽コンクールシーズン。タテを合わせろ音程合わせろ、はみ出すなってこの時期皆たくさん言われてると思う。それはもちろんそうなんだけど。
何より。澄んだ響きをみんなでつくれた時の喜びを知ってほしいし、楽しさを味わってほしいし、バシッと決まった時の気持ち良さを味わってほしい。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年7月28日
ぼく自身全体を指導するって経験がほとんどなかったので、毎回手探りしながらのレッスン。
そんな中でも生徒の可能性にはこちらが驚かされるばかり。
夏だねえ。
今日の最後の通し練習。
初日と同じ団体とは思えない。
ほんと、高校生すごいな。 pic.twitter.com/bgseXHBgLN— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年7月30日
1日ホール練習。たった一言でバンドのサウンドがガラッと変わる。みんなの集中力すごい。そして集中力切れるのも早い笑
午後のどんよりとした雰囲気に自分の高校時代を思い出した。(あの頃は毎日どんよりだった)と。どんよりはすべてを台無しにする。ホール練習、慣れないことばかりで疲れたよね。— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年8月10日
やらせるのではなく、提案をする
自分でどう吹きたいか考えて演奏するって、ガチガチに縛られて言われた通りやっていればいい演奏とはわけが違う。ぼくは音大に入った時点で自分がどう吹きたいかなんてまるでなかった。自分もいけないんだけどね。
楽譜から何を感じ取り、学び、何を思い、どう表現するか。指導者はどう寄り添うのか。— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年8月1日
「こうやって吹いて」
「ここはこんな感じで」
そう言って生徒にやってもらうのは簡単。だけど教える側の音楽押し付けたって意味がない。だから、いつも「こうしてみたらどう?」と提案し続けた。
教わる側からしたらもどかしかったかもしれない。答えを言ってほしかったのかもしれない。でも、それじゃ君らが音楽する意味がない。それを知ってもらうために、白玉の音符一個にも意味があることも知ってもらった。
高校生とレッスンしていて。低音楽器の子たちに「曲中ののばしの音つまらないと思ってるでしょ?」と聞いたら食い気味にうなずいてたけど、のばしの音がどれだけ大切で楽しいものか伝えたいな。君らが景色や情景つくりだしてるから主役は映えるんだし、吹きやすくもなるし、秩序さえつくりだすんだよ。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年8月9日
長い音符を担当している人たちが曲の世界観をつくりだすことで、他のメンバーがどれだけ吹きやすくなるか、やりがいを失っている長い音吹く人たちに積極的に伝えてほしい。場面転換の役割だって担当してるし、ただの動きのない長い音符ではないよ。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年8月9日
どうにか音楽を「やらせる」ことだけは避けたかった。
それじゃなんの意味もない。
好きで部活に入って、好きで楽器吹いてるのになんで先生にやらされなきゃいけないの?
「音楽させる」
ことはできない。
「音楽したくなる」
空気をつくる。— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年8月11日
がんじがらめで枠にはめられてやらされてる演奏をたくさん耳にしてきた。自分も経験してきた。いくつかの学校にはさせてしまった。
そんな想いがあるからこそ、最終的にはこうなってほしいな、とずっと願っていました。
パッと聴いたところほとんど文句のつけようのない演奏をする学校。縦も横も音程もいい。でもそれが目標になっちゃダメ。奏者1人1人の色が混ざり合って彩り豊かで立体感のある、会場もお客さんも巻き込んだ演奏。演奏後に静寂が一瞬訪れる演奏。そんな演奏は、言われたことだけやっててもできない。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年7月26日
たくさんの先生方の指導のもと、ある程度目標は達成できたんじゃないかと思う。
少なくとも本番前の会場の静けさをぼくは忘れない。
今年から関わってた高校の本番おしまい。練習通りのことを本番もできてた。緊張を敵とか味方とか乗り越えるとかではなく、緊張感も込みで素敵な演奏でした。会場も味方にできて良い雰囲気作れてたし。東くん(@azuma_rengo)とじゅんぺ(@jumpei_kino)ありがとー。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年8月15日
ガチガチに演奏を作り込んだ学校ばかりが「いい演奏」とコンクールでは評価されるとばかり思っていましたが、そうではないことがわかったことはぼくにとっても本当に大きな収穫でした。
ガッチガチに作り込むやり方以外でも、生徒はぐんぐん伸びるし、ある種の厳しさはありながらそれでも前向きに取り組むことでいい演奏ができるし雰囲気もどんよりしない。これがはっきりと分かった。本番当日の朝まで成長を続ける彼等はまぶしかった。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年8月15日
自分自身との約束も実はしていて、ちゃんと守りきった。
この夏、コンクールのレッスンを通して一度も「金賞」というワードを使わなかった。必要ないと思ったから。
「目指す」とか「そんなんじゃ取れない」とか。
やっぱりそれらが必要のない言葉ってことがよく分かった。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年8月15日
おわりに
あらためて。総勢27名、3年生5人に加え初心者もいれて全員で乗って本当によくがんばった。演奏自体は粗はあったけど審査員の方々は演奏を減点法でなく、音楽面を評価してくれたのもうれしかった。それだけ伝わるものがあったってこと。おめでと、ほんとに。
— ごんざゆういち (@Gonja_19) 2017年8月15日
顧問の先生が4月からずーっと「今年は金賞取りたいんです」って言ってて。「大丈夫です」と言ってたんだけど結果的に本当にいただけて良かった。
なにより生徒たちが本当にがんばった。だらけることなくいつも熱心に練習していて、レッスンに行くたびに前回よりうまくなってた。
それって本当にすごいこと。当たり前じゃないんだ。ぼくに何ができたかは分からないけど、少なくともみんなはいつものびのびやってた。
本番当日もガチガチにならず、笑顔が絶えなかった。
その場にいれてぼくは幸せだった。
賞をいただいた以上にたくさんのことをぼく自身が学ばせてもらった夏でした。生徒たちに何度も感動をもらいました。顧問の先生にもたくさん任せてもらってそれも本当にありがたかった。
生徒を信じること。信じきること。
「自分にもできる」を伝えることで自信をつけてもらうこと。
過度の圧迫や音楽の押し付けは必要ないこと。
これらが中高生がいい音楽するのに何より必要だって思っていたものが確信に変わった経験でした。
それから。Facebookでサックスの雲井先生が投稿してらっしゃるコメントが話題ですが、その雲井先生が当日審査員として聴いていてくださってて、講評で演奏に対して高評価をいただいたことも、うれしかった。
本当におめでとう。そしてありがとう。
これからも素敵な音楽していこうね。
それではまた!
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