どうもごんざです。
最近kindleで本を読むようになって、何となく読み始めた本があまりに素晴らしくて2回泣きました。
kindleで読んでるだけじゃもったいない。本の匂いを感じ、ページをめくりながら読みたい!と書籍購入しました。
そんなおすすめの本がこちら。
ある出会いから主人公は調律師を目指すことを決意し、調律学校を出た後、高校時代に出会った調律師のいる楽器屋さんに勤め始め、成長していく物語です。
小説を読んでいると言葉のひとつひとつが響いてきます。今までたくさんの本を読んできましたが、こんなことははじめてです。
「この仕事に、正しいかどうかという基準はありません。正しいという言葉には気をつけたほうがいい」
ハッとする言葉の数々。
物語の中で重要な役割の双子が交互にピアノを弾くシーンの描写もいい。
温度が違う。湿度が違う。音が弾む。「妹」のピアノは色彩にあふれていた。
音をこんな風になかなか表現しないですよ。すごい。
調律師ですからいろんな場所でピアノを調律します。「こんな音にしてほしい」という要望が行く先々であるわけですが、そこでこんな会話がありました。
そのときのお客さんは「できるだけかたい音で」という注文をつけていました。
「かたい音がいいとか、やわらかい音がいいとか、何を基準にしているか確認しないと」
「やわらかい音にしてほしいって言われたときも、疑わなきゃいけない。どのやわらかさを想像しているのか。必要なのはほんとうにやわらかさなのか。技術はもちろん大事だけど、まず意思の疎通だ。」
人に教えることのある立場として、これはほんとうにその通りだなあ、と。
相手の言葉はどんなことを思って言っているのか。意思の疎通って大事。
原民喜さんという小説家の文体を紹介している場面では、作中に登場する板鳥さん同様にしびれました。
明るく静かに澄んで懐かしい文体、少しは甘えているやうでありながら、きびしく深いものを湛へている文体、夢のように美しいが現実のようにたしかな文体
こんな音を出したい。
素直にそう思う。
双子でピアノを習っていて、練習好きの和音が「普段あんまり練習しない同じ双子の由仁の方が本番いい演奏をする」と話し「和音が本番でミスをするわけではなく、由仁の出来がひとまわり上を行く」と聞いたときの主人公のセリフがまたいい。
「それなら、いいんだよね、和音さんが本番で力を発揮できなくて、二番手だった由仁さんが繰り上げ当選する。ってことじゃないんでしょう。和音さんはちゃんと和音さんのピアノが弾けている。それなら、構わないじゃない?」
この言葉を聞いて和音はこう言います。
「私が本番でダメになるわけじゃない。だから私が気にすることじゃないんですね」
音楽って「自分と音楽」なのかもしれない。胸が熱くなりました。
主人公のこんな言葉も胸に刺さりました。
音楽は人生を楽しむためのものだ。はっきりと思った。決して誰かと競うようなものじゃない。
競ったとしても、勝負はあらかじめ決まっている。楽しんだものの勝ちだ。
楽しんだものの勝ち。
何度も口の中で繰り返した。
楽しんでいるのであれば、どんな形で音楽と付き合っているのだとしても問題ない。
そう思えた。
「ピアニストになりたい」と言った娘の和音に「ピアノで食べていける人なんてひと握りの人だけだよ」と言う母。
それに対して言った和音の言葉が一番心に残った。
「ピアノで食べていこうなんて思っていない」
和音は言った。
「ピアノを食べて生きていくんだよ」
ピアノを食べて生きていく。
なんでこんなに心に残るんだろう。
おわりに
物語に出てくるひとりひとりがまた個性豊かでいいんです。影もあって人間くさくて。
宮下奈都さんの描写、表現力が凄まじい。音楽に関わる人には特におすすめの一冊です。ほんとうにすばらしいです。
個人的にひらがなと漢字のバランス、言い回し、言葉がすんごくツボです。
さらさら読めるのに味わい深い。じんわり心があたたくなる。そんな一冊です。
2018年6月に山崎賢人さん主演で映画化決定。楽しみです。
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