今こうして再び音楽の世界に戻ってきて、楽器を吹く喜び、成長を感じる喜び、様々なことを感じることができるようになって、
あー戻ってきてよかった、楽器吹くって楽しー!
と、ブログを書いているわけですが、音楽から離れて普通に働いていた時はまさかこんな日が来るなんて思ってもみませんでした。
もう音楽を辞めよう。
楽器を吹くことももうないだろうな。
心底そう思っていた時期がありました。
今日はそこからもう一度、戻ってくるまでの話。
目次
ずっと自分で自分の首を絞めていた
中高と吹奏楽部に所属しなんとなく音楽大学に進んだぼくにとって、音大進学後の学校生活、それに伴う音楽業界で生きていくことは苦難の連続でした。
実力社会ですから常に人と比べられる、
必要以上の先輩後輩上下関係、
この人に気に入られなければという計算、
気に入られるために心を割き、
自分の気持ちを押し殺すなんて日常茶飯事、
努力に見合わない安いギャラ、
並行してやるアルバイト、
その中で音楽の仕事を続けていく難しさ、
生きて行く道の狭さ、
飲み会….、
もういろんなことが苦手で仕方ありませんでした。きっと音楽業界以外でもこれらはあるし、大切なのは分かっています。
それでも苦手なものは苦手でした。
「〜でなければいけない」と自分を追い込んでいた
今思い返せば自分でたくさん首を締めていました。
ほめられても、周りの言葉を素直に受け入れることができない。
うまく吹けても「もっとうまく吹けるはずだ」「何度やっても同じように吹けなければ意味はない」
育ってきた環境も大きく関係しているけど、ぼくはいつも自分が許せなかった。
しかも当時は今よりももっと閉鎖的で、明るく元気なタイプでもなかった上にそんな自分が嫌で、特に変わろうともしていないのに「こんな自分じゃだめだ」と。
自分で自分を否定し続けていました。ツラかった。
そんな自分でもかわいがってくださる方もいて、どうにかこうにかいろんな人にお世話になりながら、なんとか音楽を続けていたんだけど、これはもう無理だ、本当に音楽辞めよう、と思ったのはあるコンクールでの出来事でした。
演奏に支障が出るほどの手の震え
ホールでソロを演奏していた二次審査。
三部形式の曲で、中間部の美しい旋律で好きな箇所がありました。
自信のある部分だったのですが、中間部を演奏し始めた時に突然、右腕が震え始めたのです。
がくがくと震えはじめ、音もすべて揺れました。
誰の目にも耳にもわかるくらい、手も音も震えました。
これまでに一度もそんな経験はなかったし、その瞬間も何の前触れもなかったんです。
しかも緊張での揺れではありませんでした。右腕も音もガクガクに揺れ続けたまま、中間部終了。音をはずしたわけではなかったので余計にショックでした。
その後の演奏は覚えていません。音楽性に○をつけてくれた審査員の方はいたようですが、審査は通らず。
心がぽっきりと折れた瞬間でした。
決断
人間関係でも悩み、演奏面でも心が折れていたそんな時に、当時合間に働いていたレストランで、シェフが「うちにこないか」と誘ってくれて(こんな自分でも必要としてくれる人がいる)と就職することにしました。
フリーランスで活動していて、精神的に疲れていた私にとって、誰かに必要としてもらえる、ということはそれが例え音楽でなくても、嬉しいものでした。
働き始めてからは音楽を聴くこともなかったし、楽器を吹くことも数ヶ月に一度、気が向いた時に「お、まだ音でるじゃん」とその程度。
突然の訃報
そうして一年が経った頃、訃報が飛び込んできました。
あるホルンの先輩が亡くなった、と。
その先輩とは年が離れていました。
大学も違っていました。
でもそんなものを飛び越えてかわいがってもらって、すれ違いから疎遠になったこともあったけど、二人でべろべろになるまで酔っぱらったり、いろんな話をしてくれて大好きで尊敬していた先輩。
楽器を辞める際、お世話になった方々に挨拶をしていた時も(挨拶できなかった方々すみません)みんな応援してくれたり、喜んでくれたりする中で、
「話はわかったけど納得できない」
「権左は上手だしもったいないよ、もう一年一緒にがんばろうよ」
とただ一人、引き止めてくれた先輩でした。
でも辞めると決めていた当時のぼくの心には届かずメールには返信せず。結局先輩とのやりとりはこれが最後になりました。
今になって返信していれば・・と思います。あまりに突然のことで、仕事中にも関わらず涙が止まりませんでした。
聞いた所では、本番当日の朝の出来事で家をでる準備は全て整っていたそうです。ぎりぎりまで音楽の事を考えていて突然逝ってしまった先輩。
人はいついなくなってしまうかわからないんだな、とはじめて思った瞬間でした。
そんな時に頭に、浮かびました。
一生音楽から離れることを選んだけど、それで自分は本当にいいのか
やりたい気持ちはもう本当に、まったくないのか、後悔はないのか
少しでも気持ちが残っているのなら、まだできる環境にいるんだから、やってもいいんじゃないか
どうなんだ。
考えると、自分の中に音楽への想いがまだ残ってることに気付きました。
仕事を辞めた
働いていれば収入は安定するし、この先の人生の様々なことも見えてきていた、と思います。
そんな中で一度全部捨てたのにまた戻ってきた私は、無謀だし向こう見ず。
本当にやりたいことはなんだろう。
余分なものを削ぎ落としたとき、残ったものは音楽でした。
仕事を辞めてからも考えました。
今までの生活に戻っても、同じ事の繰り返し。
何がしたいんだ。
何が楽しかったんだ。
たどり着いた答え
思い出すのは楽器を教えている時の、生徒の笑顔でした。
大きなホールで素敵なメンバーに囲まれて、素晴らしい演奏の中で音楽に浸る。満員のお客様に万来の拍手をもらう。演奏中の中で感じる緊張感も日常では絶対に味わう事のできないもので、何にも代え難いものです。
音楽にたずさわる人だけが味わう事のできる、素敵な時間。
ホールでの万来の拍手は格別です。
演奏することは好きだ。
でも、自分にとっては身近な人の笑顔が一番だな、と感じたのです。
誰かのために何かができて、結果相手が喜んでくれれば自分にとってこんなに幸せな事はない。
心底そう思いました。
解き放たれてからのいろいろ
一度離れてから見える景色が変わりました。
不要な飲み会にはいかなくていい
どうでもいい人間関係にエネルギーを割かなくていい
自分の仕事を自分で作っていいし、作れる
自分のやりたいことだけをやっていい
自分の値段は自分で決めていい
自分の思いを発信すればそれが何かに繋がる
自分の世界観を思う存分作り込んでいい
今は、フリーランスって生き方は自分に合ってるな、って思っています。
おわりに
悩み狂って挫折して、就職した先でも思うようにいかなくて、また戻ってきて。
ようやく、自分のやりたいこととできることがマッチした仕事に出会えて、自分の納得できる生き方ができるようになってきました。。
もう一度音楽に携わるきっかけをつくってくれたり、楽器を吹く喜びを、自分が成長する喜びを味わえるようになった、この道を歩み始めることができたのは、すべて先輩のおかげ。
藤原貴裕さん、
ありがとうございます。
あの時言葉をかけてくれたあたたかさは一生忘れません。
勝手だけど、あなたの分まで音楽と共に生きていきます。
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