12月7日(土)8日(日)盛岡出張レッスンのお知らせ

高校時代、吹奏楽部がつらくて嫌になって部長なのに逃げだした話

高校2年生、部長になったぼくは部活が嫌すぎて、あろうことか逃げ出したことがあります。

今日はそのときの話。

ある日部活に行ったら部長になっていた

話し合おうじゃないか

高校時代、2年生の2学期になると代替わりし、誰がこの先部活をまとめていくかを決めることになります。

当時はまとめて「幹部」と言っていました。

部長、
副部長、
学生指揮者、
ドラムメジャー、
コンサートマスター、
金管セクションリーダー、
木管セクションリーダー、
打楽器セクションリーダー、
他にはパートリーダーも決める。

まず学年の中で立候補や推薦で候補を募り、その後全体で決めるという流れがあったはずなんだけど、ぼくが偶然休んだ日にその役割を決める話し合いが行われたらしく(!)

次の日部活に行った時に顧問の先生に、

「今日から権左が部長だから何かあったら権左に聞いて」って。

 

(゚Д゚)

 

小学校の時に転校して一週間で生徒会の副会長に推薦されたときくらいびびりました。あの時は推薦だったけどこれに限っては決まってたからね。鼻水でたわ。

これがそもそもの始まりでした。

積極性のなさやまとまりのなさが勝手に嫌になって

当時うちの部活は普段の練習メニューだとか、演奏会当日の全体の動きだとか、ほとんど生徒が決めてたので、話すこと山盛り。

でもいきなり部長を任されても何からやったらいいかわかんないですよね。
幹部の中でいくら話しても意見もでてこない。
時間ばかり経つ。
何かまとまって先生に相談に行っても「もっと考えてこい」と突き放される。

今考えれば最初から何でもうまくいくわけないし、先生だってぼくらを試してたんだろうと思いますよ、期待してたんだろうってなりますけどね。

当時は地獄のような毎日でした。
そんなことが続いたある日ついに耐えきれなくなって。

上履きのまま学校を飛び出す

もうほんと。
読んで字のごとく。
学校から逃げ出しました。
ちゃんとカバンと楽器はもってね。
駅まで友達が上履きで追いかけてくれたけど、振り切って家路につきました。
あの時は追いかけてくれてありがとね、太朗。

振り切った後は普通に電車で帰っていたのですが、途中で友達から電話がかかってきて「おい、先生達が車で探しに行ったぞ」

「見付かっちゃまずい!」と先回りを恐れて、途中下車して周囲を気にしながら帰宅しました。リアル逃走中。

 

その後先生が車で同級生数人を乗せて捜索している情報をキャッチし、家の近くまで帰るも、家にも既に来てると家族から連絡を受け、帰るわけにも行かず家の近くで息を潜めていました。

耐えきれなくなったのかな、23時半頃家に帰ると見張っていたかのように先生登場。

そして対応した母に一言。

 

「息子さんお借りしていいですか?」

 

今だったらあり得ないことでしょうけど、これは実話です。
23時半ですよ?常識ってあるんですかね。

で、そこで母が更にぶっ飛びの一言。

「ああ、はい、どうぞ」

 

おい、ちょっと待て、と。

先生もあり得ないけどうちの親も親ですよ。
「はい、どうぞ」じゃないんですよ。
普通の親なら「今日はもう遅いので明日にしてくれませんか」くらい言うでしょうよ。

 

というわけで日付が変わる頃になってやっと家に帰れたのに、そのまま先生に母承諾のもとさらわれ車に乗って移動。

正確には先生一人じゃなかった。
OBの先輩と当時恐れられていたM氏と先生とぼく。

年齢も容姿もまったく噛み合ない4人が、深夜のガストで何事かを話し合う光景。

さぞかし異様な光景だったことでしょう。
ぼくなんて高校生ですから今なら通報されてるレベルですよね。

その後説得され朝まで話し合い

話し合い何話したか覚えてないや。多分説得されたりなんだりしたんでしょう。

とりあえず「明日からまたがんばろう」みたいな話しでまとまった記憶があります。

帰宅時間朝5時。

家出るの7時半。
まったくとんでもない日でした。
今考えれば話し合いに同席してくれた方々や先生も大変でしたよね。ごめんなさい。

その日お昼のミーティングで

何が起こったかは部活のみんなは知ってるわけですから、お昼に顧問の先生から部活の同級生が集まった場所で話があったんですよ。

で、先生の開口一番の言葉に心底驚いたことを今も鮮明に覚えています。

 

「権左がこんなに弱いと思わなかった」

 

がっかりした感じで言うわけですよ。
怒りながら。

数時間前またがんばろうって言ったくれた矢先、みんなの前で言う必要ある?なんで?がんばろうって言ったよね?
頭の中は「?」でいっぱいでした。
がんばるの無理っしょ。

先生には、
「こんなことがあったけど、彼はまたがんばるって言っているからみんな協力してくれ」とか言ってほしかった。

 

それからは部長という役職ではあったけども、みんなの前で話をしたりするのみで、実質的に部長がやるべき仕事は他のメンバーが補ってくれました。

「権左は潰れた」っていう認識なんだな、と毎日居場所がなかった。
楽器が吹けるわけでもなかったし。

大所帯の部活で部長やってたって聞こえはいいけど、実際はこんな感じで高校時代ずっと苦しかったな。

おわりに

嫌だったこと、傷ついたこと、もっとこうすればよかったな、と思うこと。

いろんなことがあって、できるだけ同じ思いは他の人にしてほしくない。

もっとこうしてほしかった、こうだったらもっと部活楽しいだろうなっていうのを伝えたい、そんな思いを込めてぼくはブログを書いています。

こうして時間が経つと見えてくるものは当時とはまた違うけれど、心の傷は意外と治らないものだなあと書いてて思いました。

 

 

それではまた!

\Xでごんざを  

エールを贈る

3件のコメント

おもしろく、そして共感しながらみさせてもらいました
逃げたくなるくらいつらかったんですね、、

高校2年生…。
辛いでしょ…思春期まっただなかで…
逃げたくなりますよ… 
吹奏楽部なんですけど、私も逃げ出したくなる時ありますもん。
でも、私昔から諦めるの早くて… すぐ自分を追い込みがちなんですよね…
でも、私、吹奏楽だけは何があっても辞めないってきめたんです…
今回また、改めて思いました。
私に勇気をくれました。 本当にありがとうございます!

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