12月7日(土)8日(日)盛岡出張レッスンのお知らせ

吹奏楽部に伝わる、理由はわからないけど代々受け継がれている伝統の練習法を効果的な練習にするために

どうもごんざです。
友人のトランペッターがこんなことをつぶやいていました。

ズバッといいこと言う。

分かっていてもどうにもならないことがある

 淳平氏が言っていることにはなんの異論もありません。

でも、現実問題「この練習意味ねーな」「こういう練習がいいんじゃないかな」と思うことがあっても、それを別の練習方法と取り替えることが難しい場合も多々あります。

意見を言える雰囲気じゃなかったり、意見を握りつぶされてしまったり、その練習には実は別の側面があったり、練習方法を取り替えることが難しいケースは様々。

環境が変わらないなら自分が変わるしかない

やりたくないけどやらなくてはいけない環境のとき。
ネガティブな気持ちのままその練習をしていても時間の無駄です。
やる意味ないです。
吹かない方がマシです。

じゃあやめる?
そんな簡単な話じゃないですよね。

 

じゃあどうするか。

自分が変わるしかない。

音程も合わない、体も疲れる、精神的にもツラい、意味の見えない練習でも、毎日やらなければいけなかったら。

自分で練習の意図を考え、工夫する。

  • いかに楽に楽器が吹けるか
  • なんで体が痛くなるのか
  • なんで音程が合わないのか
  • どうやったら音程が合っていくか
  • どんなイメージで吹くか
  • そもそもイメージを変えるとどう変化があるのか

 

今ある環境でなんとか生き抜くには、ツラいけど自分が変わるしかないこともあるんです。

おわりに

意味の見いだせない練習を「そんなのやる意味ないよ、これやってみよう」それができれば話ははやい。けど現実はそううまくいかない。

そんなとき、自分で練習の意図を考え作っちゃう。
暗い気持ちで過ごしても、前向きな気持ちで過ごしても、時間の価値は一緒。
だったら、少しでも前向きに過ごした方が自分のためになる。

 

ぼくがバッとその現場に行って「そんなの意味ないよ!これやろうよ!」って言えればいいんだけど、そういうわけにもいかない。

だからこんなことしか言えないけど。
苦しい思いをしている人のところにほんの少しでも光が差し込めばいいな。

 

 

それではまた。