12月7日(土)8日(日)盛岡出張レッスンのお知らせ

レッスンをする、ということ

これまであなたはどんなレッスンを受けてきましたか?

厳しかったり、緊張したり。
励まされたり、勇気付けられたり。
目からウロコのアドバイスをもらえたり、わかっていてもできないことがあったり。
何度も同じことを言われてしまったり、人によって言ってることが全然違ったり。
元気をもらったり、生きる気力をもらったり。

様々なレッスンがあります。

音楽を続けていると、いつからかレッスンを受ける側から、レッスンをする側になることも増えてきます。教える側になって初めて気付くことも多いはずです。

 

この記事は自分の体験や考えていることをギュッと詰め込みました。

 

長文ですので、目次を見て気になる項目だけ読んでもいいかもしれません。

演奏を聴かせることがレッスンのすべて?

楽器のレッスンは、先生が吹いて生徒に聞かせて「さあ、こう吹いてみて」が多いですよね。

素晴らしい演奏を目の前で聴いて、(こんな音が出せるようになりたい)(音楽って素晴らしいな)、そんな風にがんばるきっかけになったり、憧れたり、目標を持つきっかけになるからです。それだけじゃなく、言葉だけでは伝わらないものも演奏を聴くとたくさん伝わってきます。

ただ、演奏を聴かせて一緒に吹くだけでスイスイうまくなる生徒はそういないし、スイスイうまくなる生徒は、生徒自身の観察力や想像力、模倣力がもともと優れているだけ、ということは知っておきたい。

 

陸上競技のコーチは、自分が走ってみせて「さあ、同じように走ってみて」と言うでしょうか?

野球の打撃コーチは自分のスイングを見せて「同じようにバットを振るんだ」って言うでしょうか?

言ったとしても、それだけではないはずです。もっと個人個人の体格や習熟度、筋肉のつき具合、その人自身のクセなどを見抜き、今後の計画を立て説明をし、トレーニングするはずです。

 

吹いて聴かせて「さあやってごらん」だけだと、うまく模倣できる人やそれだけでコツをつかめる人はいいのですが、みんながそうではありません。観察力や想像力、模倣力がこちらが楽に感じるほど備わっていなくても、それが=その生徒は劣っているということにはなりません。だから、吹いて聴かせて生徒の演奏が変わらなくても生徒が悪いわけではありません。

これを教える側がわかっていれば、吹いた通り生徒ができなくて、先生が何回も吹いて「こう吹くんだよ」と言い続ける。生徒は(わかってるんだけどどうやればいいかがわからない、自分に何が足りないんだろう)と自信を失っていく。こんな悪循環は防げると思います。

 

レッスンで必要だと感じていること

いろんな分野のコーチや先生と基本的な考え方は同じです。

生徒のスタートの段階によって、先生がそこまで降りていき手取り足取り、最初は説明できる先生であってほしいとぼくは思います。

先生にも実は得意不得意がある

なんでもオールマイティに教えることができる先生が一番だよね!とは思っていますが、実際それができる先生は少ないです。

ですが日本に根付いている、先生=なんでもできる人、という図式が先生側も生徒側も不幸にしてしまっているように感じます。

 

奏法上に悩みを抱えている生徒が、奏法にあまり悩んだことがなく「音楽」を教えるのが得意な先生のもとへレッスンに行っても、生徒は教わりたいことを教われないし、先生は教えたいことを教えられないので、お互い不幸です。

反対に、奏法上の悩みを解決するのが得意な先生のところに音楽を教わりたい生徒がレッスンに行っても、お互いあんまりいい時間にはならないとも思います。

先生は自分の得意分野を知ろう

自分がレッスンする上で何ができるのか、はわかっているといろいろ楽だと思います。

ぼくで言えば、合奏レッスン、グループレッスン等の複数人数を相手にするレッスンは現在受けていません。個人レッスンに特化しています。

以前、できることを丁寧に深く。権左勇一は個人レッスンに特化しますでも書きましたが、いろいろ経験をした上で、自分の力を発揮するには個人レッスンが一番だ、と感じているからです。

得意分野がはっきりしたので、大きい編成等のレッスンはお引き受けしていませんし、そもそも依頼もほぼ来ません。それにぼくより適任はたくさんいます。

 

世の中にはいろんな先生がいて、合奏で音楽をつくりあげるのが得意な先生もいれば、素晴らしい音楽性を持った先生もいます。オーディションのコツを心得ている先生もいるでしょう。

だから、それぞれ得意分野があっていいと思うんです。

もしぼくの元へ自分では対応できない依頼が来たとしたら、事情をきちんとお話しした上で、他の先生を紹介しています。

自分の経験を伝える、ということ

レッスンをはじめたばかりの頃は、先生は自分が演奏者として経験してきたことを伝えることしかできません。

それでいいと思います。

ただ、慎重になってほしいことがあります。
自分の経験が相手にいつも当てはまるとは限りません。もちろん当てはまる生徒もいるでしょうが、どちらかと言えば自分が経験したこともないようなことで悩む生徒に出会うことが多いはずです。

先生もトライ&エラーが基本

最初からバシッと「あなたはこうすればOK!ほら!着吹いてみて!」とレッスンできる先生はいません。

だから考えたことを試してみてうまくいかないなら「よし、今のはやめよう。次はこれ試してみよう!」でいいんです。それを繰り返すことで知識は蓄積されていきます。

なので最初から(一発で完璧にフィットさせなきゃ…)と思ってしまわないように。めっちゃ苦しくなります。

ほとんどの場合マイナスの感情は必要ない

先生も人間ですし日々いろんな出来事があり、いろんな感情を抱えてレッスンしています。

イライラしたり、凹んでいる状態でレッスンすることもありますよね。

わかります。

 

でも、そこで生徒の立場に立って考えてみてほしいんです。

(今日先生機嫌悪いな、怒られないようにしよう)とか、
(先生元気ないな大丈夫かな)なんて生徒が思ってしまうようなレッスンの時間には、できることならしたくないですよね。

ぼくも機嫌を自分でコントロールできず、声を荒げてレッスンしていたこともあります。今なぜそうなってしまっていたか思い返すと、イライラしていたり、自分のアドバイスが効果的でなかったり、そもそもそういうやり方しか知らず、引き出しも少なく、うまくいかなかったりすることが原因でした。

でもこれ、生徒にはまったく関係ないんですよね。

それに負の感情が渦巻くレッスンでは、生徒が安心してチャレンジしたり自分をさらけ出したり、向上していく場にはなりにくいです。

ミスして怒られたり、先生の言われた通りにできないと先生が不機嫌になっていたら、生徒は先生の顔色を伺うようになっていきます。

そんなレッスン受けたくないですししたくないですよね。

できたことはできたと伝える大切さ

ぼくはレッスンでよく、

「いい音!」とか、
「今変わりましたね!」と相手に伝えます。

そうすると生徒になんだか変な顔をされたり、戸惑われたりすることが多いです。「そんな風にほめられたことないです…」と言われることもあります。なんだかほめられること=喜んじゃだめ、みたいな雰囲気さえ感じます。

テストでいつも80点の人が85点をとったら嬉しいし喜ぶだろうし、体重を気にしている人が今より1kgでも痩せたら大喜びするのに、レッスンでは少し変化があったとしても、完璧な演奏でないと喜んじゃいけない、と思っている人がすごく多いんです。

完璧からするとまだまだかもしれない。でも以前より少しでも前に進んでいたら、それは前進です。

ほんの少しの前進でも、それを大切にしたいといつも思っています。

指摘とアドバイスとその後の変化をセットで

「ここがダメだね」
「ここがいつも◯◯だね」

こう指摘をされたことは誰でもありますよね。することもあるかもしれません。先生としては(どうしたらよくなるかは自分で考えろよ)と思って言ったのかもしれません。

実際、それだけで変化が起きれば問題ないと思います。変化が起きることもあるでしょう。

でも変化が起きなかったとき。

 

「なんでできないんだ!」
「自分で考えろ!」

 

と生徒に吐く前に一瞬でもいいので、(今なぜうまくいっていないんだろう)と考えてほしいです。

そして、なんでもいいので一言アドバイスしてみましょう。そして経過を見守ってみてください。そしてアドバイスしたことによって起きた変化を相手に伝えましょう。

アドバイス後も意外と大切

合奏で。
「ホルンそこ聞こえないからもっと大きな吹いてみよう、じゃあもう一回」

演奏後、
「はい、じゃあ次はここから〜」

なんて合奏が進行することはよくありますが、多くの場合、指摘された側はどう変化が起きていて、以前よりよくなったのか、もっと大きな音が必要なのか、わかっていないことが多いです。(お互いが高いレベルでの信頼関係がすでにあり、言わなくてもわかるであろう場合あ、生徒が感じていることが見て取れる場合はもちろんこの限りではありません)

でも指摘した側は変化をわかっていますよね。それを相手に伝えるといいと思うんです。

これは(言わなくてもわかってるはず)が続いた結果、すれ違いが増えていった家族やカップルを想像してみれば、当たり前のことで、口に出すことがどれだけ大切かわかるはずです。(例えがわかりずらかったらすみません)

「今のよかったよ」
「まだ足りないかな!」

アドバイスした後どう変化したかが相手に伝われば、相手の気持ちにも変化があります。ほんの少しのことですが、必要なことです。

アドバイスした後、かえって音を外してしまったり、音程が悪くなってしまったり、リズムが崩れてしまったりしても、そこで口を出すのは少し、我慢したいです。それは生徒がチャレンジしている証拠。いつもと違うことをしようとしているってことだからです。

やる気がないのはなぜか、も考えたい

「お前らやる気出せよ!」
「今のままじゃダメだ!」
「やる気ないならでてけ!」

ぼく自身何度も言われてきました。思い出すだけで胸が締め付けられます。「頑張るの意味を辞書で調べてこい!」と合奏が中断したこともありました。

 

でも言ったところで生徒のやる気は増えません。

いつもできているのに今日は明らかに手を抜いている。ここが踏ん張りどきだもう少しがんばろうよ。そんな気持ちで言うならいいかもしれません。

でもやる気のない生徒がいたら、それはきっと何かのシグナルですよね。

生徒を呪わない

「これができなきゃ◯◯になるぞ」
「このままじゃ◯◯だ」

そんな風に生徒に呪いをかけていませんか?

脅し、とも言えますよね。
そうやって呪われた生徒は恐怖からがんばるかもしれません。

 

でも、他に方法はないでしょうか。

先生の言葉というのは生徒の心に深く残るものです。その後何年経っても事実とは違う指摘を受けたり、ダメ出しされ続けたことが頭のどこかに残っていて、演奏に影響を及ぼしているケースはたくさんあります。

言葉を味方につけ、駆使しよう

一つのことをアドバイスするにも、たくさんの切り口があります。

例えば生徒が演奏しているのを聴いて(もっと大きな音で吹くといい演奏になるな)と先生が思ったとします。

技術的な観点からのアドバイスだと、パッと考えただけでも

「息をたくさん吸ってみよう」
「息をたくさん吐いてみよう」
「タンギング強くしてみよう」

などが考えられますし、
抽象的なアドバイスだと、

「もっと響かせてみよう」
「力強く演奏しよう」
「勢いよく吹こう」
「エネルギッシュに演奏してみよう」

なんてアドバイスも考えられます。
これらに正解はありません。言うタイミング、相手の受け取りやすさ、場面などによっても違ってきます。

変化が起きればいいと思うんです。

ただ、変化が起きればいいといいと言っても、学ぶ側が前向きに演奏できてぴったりくるアドバイスを選ぶべきだとは感じています。

レッスンする側も一つの切り口であまり相手に伝わらなければ別の切り口もどんどん試していきたいですよね。

生徒に似合う服を一緒に選び、自分で選べるようになってもらおう

レッスンをするということは、自分の着ていた服をどの生徒にも着せることではないし、自分の着せたい服を無理に着せることでもありません。

生徒が自分に似合う服を選ぶことができるよう、視野を広げる手伝いをし、どんな服にもチャレンジできるよう、勇気をつけてあげることだと思います。

 

レッスンをする側の最終目標は、生徒自身がレッスンに来なくても、数ある選択肢の中からその時々で最適なものを選びながら自分自身で上達し、歩き続けられるようになってもらうこと。ぼくはそう思っています。

自分に自信がなかったり、歩き続けるやり方がわからない生徒に、その人自身にいくつもの選択肢があって、自分の持っている良さを伸ばしていくには何が必要なのか、それを伝えていく。

 

 

そのために先生側は、自分が人生をかけて培ってきた知識や経験をどう相手に伝えていくか。

それがレッスンでもっとも大切なことだと思うのです。

 

 

 

それでは、また。