練習で音を間違えた時、
合奏で音を間違えたとき、
つい「すみません」や「ごめんなさい」って言ってませんか?
合奏が止まるごとに言う習慣がある学校もありますよね。
ぼくも長いこと言っていたので言ってしまう気持ちはわかります。でも当たり前に行われている環境では見えずらいものですが、すぐあやまるのはとても奇妙な習慣です。
そもそもあやまる意味は?
必要なこと?
間違えたらあやまるのが礼儀?
そんなわけないんです。
必要だと思える場合以外、あやまる事ないんです。
目次
音を間違えてなぜあやまる理由
- 間違えたら怒られるから
- みんなに迷惑をかけているから
- 合奏で「誰だ!」って言われるから
- 間違えたらあやまれって言われているから
- 何かわかんないけどあやまりたくなるから
- あやまることで先手を打ってるから
- 間違えたらあやまることが礼儀だと思ってるから
いろいろありますよね。
音をはずしてすみません。
音程が合わなくてごめんなさい。
でもそれって一体誰にあやまってるのかな。
みんなに迷惑をかけてしまって・・という気持ちからかもしれないけど、そもそも間違えたくて間違える人はいないよね。
あやまることで「そこまで言われちゃあしょうがねえ!」って思う人もいないでしょう。
あやまるよりも、なぜそれが起きたかを分析して、次どうやったらよくなるか考えたほうがよっぽど建設的だし、健康的です。
それに先生は生徒が音をはずすかはずさないかを聞いているわけじゃない。
着目するとしたら「なぜはずしてしまうのか」。原因を考えていくのが先生の仕事。
それにあやまる事で自分の気持ちがギュッと萎縮して、ネガティブな結果がより起こりやすくなるものです。
あやまりつづけて言われたこと
と、えらそうなことを言ってますが、ぼくにもあやまり続けてきた過去があります。そして「あやまるのはもうやめよう」と思う出来事もあったんです。
何かとあやまりグセがついていた時期。
あるとき大好きな尊敬しているホルンの先輩に言われたんです。
「すぐあやまるよね、あやまればいいと思ってるの?周りはみんな分かってる。あやまったところで何にもならない。あやまることで自分の身を守ってるつもりかもしれないけど、意味ないよ。その場ではぐっとこらえて、持って帰るんだ。そして悔しさを胸に練習するんだよ」
返す言葉もありませんでした。
それからはこの教えを守っています。
その強さがほしくて。
自分の演奏について意味もなくあやまる事をやめました。
あやまることをやめてから
しばらくはあやまりたくなります。
そこで「今まで気軽に言ってたな」って気付くんです。
何かあったらとりあえずあやまってた。あやまればいいと思ってた部分もあった。
それをやめると感じる何かあったときにあやまれない苦しさ。
悔しさを持って帰る苦しさ。
あやまることをやめて得たもの
あやまることをやめてよかったと思うことが3つあります。
自分を大切にするようになる
言葉にするのが難しいんですが、自分の安売りをしなくなります。
無駄に自分を下にみなくなる。
あやまることで「自分はだめなやつ」って自分で思っちゃってたのかな。
責任感が芽生える
自分のだす音にいっそう責任を持つようになる。
しっかりせにゃならん、と。強くなります。 あやまるのは簡単。でもそこであやまらない意味、覚悟。
切り替えが早くなる
あやまることをやめたことで選択肢が一つ減ります。振り返ったり後悔するのはあとでもできる。音楽は常に進んでいる。待ってくれない。
「今どうするか」を常に選択しながら進むしかない。
素早く気持ちを切り替えることができるようになります。
おわりに
どんなときでもあやまることをやめよう、と言っているわけではないんです。
脊髄反射で「ごめんなさい」「すみません」と言うのをやめよう、って話です。
「ここはあやまろう」と選んであやまる分には何も問題ない。
反射的にあやまってたな、って思った人は、三回あやまっているうちの一回でもグッとこらえてみて。
それが第一歩です。
それだけで気持ちが変わってきます。
それではまた!
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