ぼくは長いこと、
「暗い音だね」
「音の出だしもっとはっきり」
「もっと軽い音で」
「それじゃただ吹いているだけだよ」
ホルンを吹くとこんなようなことを言われてきました。
その度に、
- 明るく吹くよう心がける
- 音の出だしのタンギングを自分が思うより強くする
- 軽く吹くよう心がける
- どう吹きたいか考え直す
こんな風に対処してきました。
これらの対処にはどれも一定の効果があります。
楽器というのは不思議なもので、暗い気持ちで吹くのと明るい気持ちで吹くのとでは、音色が違ってきます。どう考えて吹くか、はいつも演奏に影響するのです。
ただ、どう考えて演奏するかで演奏が変わることはわかっていましたが、暗い気持ちでないときも暗い音色でしたし、重く吹こうとしていない時でも重い吹き方でした。一生懸命演奏しても棒吹きになっていて笑われたこともありました。
これはそもそもの自分の特性なのか?
それとも心がけが足りないのか?
暗く重く吹くのが好きなのか?
自分には音楽がないのか?
いつしか自分が悪い、と思うようになりました。
人より劣っている、と思うようにもなりました。
そのうち自分を(どうせこんなもんだ)と、あきらめるようになりました。
でもほんとは心の奥では、明るく軽く吹きたい自分がいました。やりたい音楽がありました。ホルンが好きな自分がいました。
楽器演奏は複雑なことを一度にやっている上、様々な要素が絡み合っています。
自分の思考に原因があるのか
自分の表現に原因があるのか
自分の奏法に原因があるのか
自分のクセに原因があるのか
環境に原因があるのか
楽器に原因があるのか
これがとてもわかりづらい。
何を考え何を使い実行した結果どうなったか。このバランスが噛み合ったとき、はじめていい結果が生まれます。
その複雑さからか、楽器演奏で何かつまづく事があると一番に表現に着目されます。
「もっと大きな音で」
「やわらかな音で」
「流れのあるフレーズで」
起きてほしいことはわかるけど、表現が問題なことばかりではありません。
それに加えて(自分が悪い)とも思ってしまいがちです。大きく見ると確かにこれもそうだと言えるかもしれません。
環境に原因があっても楽器に原因があっても、それも自分のせいとも言えます。
ですが例えば、ホルンが合奏で常日頃「聞こえないよ、もっと吹いて」と言われるのは、響かない部屋のせいかもしれないし、反響版のない部屋のせいかもしれないし、部屋に毛布が敷いてあるからかもしれません。
音程が合わないのも、楽器のせいかもしれないし、右手がベルを塞いでいるのかもしれないし、部屋の温度がいつもと極端に違うからかもしれません。
これらは、ぼくは本人のせいではないと思います。
奏法に問題があるのに表現に着目されるのと、問題にしっかりフォーカスするのとでは、結果がまるで変わってきます。
物事を自分のせいだと思っているのと、そうではないと知っているのとでは心が違ってきます。
全部ひっくるめて自分が悪いと思っているのと、どこに問題があるかわかっているのとでも全然違います。
ぼくの場合、奏法自体に長い間問題を抱えてきました。
音の出だしが不鮮明になりがち、
音が暗い、
音が重い、
音楽がないと言われる、
これらは思考に問題があったのではなく、根本的な奏法に問題があったのです。
不自然に巻いた下唇
楽器の高さに合わせた顔の角度
自分に合わないマウスピースの場所と向き
吹き始めるときいつも必要よりも大きなアパチュア
必要より大きなアパチュアに合わせられていないタンギング
必要以上に吹き込みたがる息量
不自由な、自分に合っていない吹き方で人と同じことをやろうとしていたんです。これだけ不自由な奏法ではとても「音楽する」までたどり着けません。
でも、それを表現やイメージが足りないと取られる事がほとんどでしたし、自分もそこにばかりに目がいっていました。あとは才能のなさや、努力の足りなさ、練習量のせいにもしていました。
ですがこんなに不自由な状態では、いくら素敵な考え方や表現に関するアドバイスをもらっても、実行しずらさしかありません。こなそうとするだけで精一杯です。
抱えてきた奏法の問題を乗り越えてきた、と感じた時にようやくそれに気づきました。
奏法に関する問題が解消されてくると、これまで苦労していた事がウソのようにスムーズにできたからです。やりたい事が表現できていくようになりました。
まだまだうまくいかないことも多いですが、少なくともつまづきの原因がどこにあるのかを見極めることの大切さを、身を以て知りました。
地を這うようなペースでようやく、ようやく見えてきたものがあります。
原因はどこにあるのか。
これからは広い視野を持ち、よく観察しながら日々過ごしていこうと思います。
それではまた。
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